ニガタガタガタニガタのブログ。

地方の会社員。平成一桁世代。いつかエッセイ本を出しておばあちゃん家の仏壇に飾りたいと思ってます。

映画館で見た『もののけ姫』は高野豆腐のように。

もののけ姫』は良い映画。

もののけ姫』が好きだ。「好きなジブリ作品」というくくりではなく、「好きな映画作品」というくくりの中でもベスト5に入るくらい好きだ。

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好きだ好きだと言いながら、私はコロナ禍になるまで、家でしか『もののけ姫』を見たことがなかった。それもそのはず、『もののけ姫』の上映は1997年、私はおむつも取れていない、干し肉を噛む歯もろくに生えていない赤ちゃんだったからだ。

だから、私は『もののけ姫』を映画館で見ることなく死ぬのかというほんのりとした絶望と、1997年当時におむつが取れていて干し肉を噛める歯も生えそろっていて、なおかつ映画館に見に行くことができた人へのやんわりとした嫉妬を感じていた。

 

胸熱🔥🔥🔥ジブリ作品のリバイバル上映

そんな私にこれ以上ないうれしいニュースがあったのは一昨年だ。コロナウイルスが今よりずっと未知で、地方暮らしの私にとって今よりずっと他人事だった頃。

「一生に一度は、映画館でジブリを。」というキャッチコピーのもとに、全国の映画館でジブリの4作品をリバイバル上映されるというネットニュースを見た。『風の谷のナウシカ』『千と千尋の神隠し』『ゲド戦記』、そして私の大好きな『もののけ姫』もラインナップされていた。私は嬉しくて嬉しくて、出来るだけ良い席を取りたい、他人に取られまいと、勤務時間真っ只中の午前10時にいそいそとトイレでネット予約をしたのだった。

コロナウイルスを警戒しながら、ウキウキ気分で映画館に行き、コーラMサイズと一緒に上映スクリーンに向かうと、そこにいたのは私と友人と思しき妙齢の女性2人組だけだった。だだっ広い館内にいるのは3人だけ。いそいそとコソコソと良い席を取られまいと会社のトイレで予約した自分は「馬鹿だったかもしれない。」と少しだけ後悔し始めていた。

しかし、映画が終わった後。私は私を「よくやった!あんたグッジョブすぎる!」と撫で回したいくらい最高な気分になっていた。

 

初めて映画館で見た『もののけ姫』は高野豆腐にでもなったかのように全てが沁みた

映画館で見た『もののけ姫』は、登場人物みんなの気持ちと言葉と生き方が自分に沁みてくるようだった。自分が高野豆腐にでもなったかのように全ての人の気持ちがダシのように沁みてきた。全く泣く場面ではないのに涙が止まらなくて、上映時間のうち7割は泣いていたかもしれない。村を守ったがために村を出ることになってしまう理不尽さに対するアシタカのぶつけようのない怒り。会社員みたいに粛々と仕事をしないといけないジコ坊の擦れた乾いたような忠誠心。サン、モロ、エボシ様、乙事主、、、シシ神様以外(神の領域すぎて全然沁みなかった)の全ての気持ちがわかったような気になるほどに物語に入り込むことができた。

何度も何度も見た『もののけ姫』だったが、家族の声や足音、皿を洗う水音を消し去りきれない居間のテレビでは、映画の世界に埋没することはできていなかったのかもしれない。

 

映画館は不便、でもやっぱり良い所。

映画館はすごく不自由で不便だ。まず顔を洗って身だしなみを整えて時間を合わせて映画館に向かわないといけないし、チケット代も高い。上映中はスマホも使えないし、途中でトイレに行きたくてもストーリーは止めてもらえないし、チケット代は高いし、チケット代は高い。

今は一回分の映画チケットを払えば、余裕で1ヶ月分の動画配信サービスを受けられる。CD産業やDVDのレンタル業などのように、いつ映画館がNetflixAmazonプライムなどの配信サービスに息の根を止められてしまうのかと考えてしまうのは普通の感覚だと思う。

けれど、生活音やスマートフォンと一時的に断絶してくれる映画館の不自由さがなければ、私は『もののけ姫』にこれ以上に入り込むことができなかった。不自由で不便で不親切で、街であったら会釈もしないような人たちと、同じ日の同じ時間に同じ映画を見ることのできる異常な空間、映画館。不便だけど、映画館はやっぱり良い。出来るだけ長く太く、延命措置がなされますように。