ニガタガタガタニガタのブログ。

地方の会社員。平成一桁世代。いつかエッセイ本を出しておばあちゃん家の仏壇に飾りたいと思ってます。

オートミールうまいって言ってる人って強がってない?

私は太っている。

大鶴肥満みたいに個性になるほど太ってはないけど、「ああ、あのふくよかな子ね〜(笑)」ってクソみたいな父の知り合いに言われるくらいには太っている。

大学時代に部活で足をくじいて整形外科に行った時には「あなたは足が小さいのに体重が重いから、足が負担が大きいんだよね〜(笑)」とクソみたいなおじいさん先生に診断されるくらいには太っている。

ダイエットの神様は舞い降りない。

世界仰天ニュースならこれでダイエットの神様が舞い降りて、サウナスーツ着用のウォーキングと鶏胸肉中心の食事制限が始まるはずなのだが、ゆとり世代な上、両親に愛されて育った末っ子タイプなので「まあ、体型のことで嫌うような人は私も嫌いだし、とやかく言ってきたジジイどもはどうせ他の人にも嫌われてるから、いっか!」となってまたモリモリご飯を食べてしまう。

しかし、毎日毎日感情のアップデートの激しいタイプでもあるので、3日後には「やっぱり痩せたい。ガリガリにならなくていいから、普通体型になりたい。何の努力もせずに8キロ痩せたい。」という気持ちが湧き上がってくる。

友達からのおすそわけオートミール

そんな私に友達が、コストコで買ったオートミールが大量に余ってて食べ切れないからと、あんたも試してみなさいとジップロックに入れた500gを半ば押し付けるようにお裾分けしてくれた。

オートミールってめちゃめちゃダイエットにいいけど、なんかまずいらしい」という薄々の知識だけ持っていた私は、とりあえず夜のうちにヨーグルトに漬けて、オーバーナイトオーツと呼ばれるものにして食べてみた。

さらには鶏がらスープでコトコト煮る中華粥風や、キャベツと少量の小麦粉と混ぜたお好み焼き風なども試してみた。

オートミールが激うま?嘘つくなよ!強がんなよ!素直になれよ!

友達からもらった500gを使い切ってみた感想としては………便通はよくなる!!!が、手間ひまをかけて時間をかけて、光熱費をかけて、ぼんやりマズいものを作ることと体内にマズいものを入れることに私は耐えられない!!!

「このオートミール激うまです!!!」って言ってるYouTuberの人たちを見ると「おいおい!強がんなよ!うどん!ラーメン!ビビンバ!の方がうまいと言え!!強がんなよ!!!」と私の心の中にいる河原でタイマン張ってるヤンキーが出てきてしまうのでもう見ないことにして、今からカップラーメンを食べる。

 

 

 

ちょうどいいがちょうど来ない、人生。

 

ちょうどいいがちょうどよく欲しいだけなのに……。

ちょうどいいウォシュレットの強さ、ちょうどいいエアコンの温度、ちょうどいいサイズの靴、ちょうどいいポテトの塩加減、ちょうどいい腹の満たされ具合、ちょうどいい睡眠時間、ちょうどいい長さの話、ちょうどいい運動量、ちょうどいいアルコール量、ちょうどいいところで止まって欲しい、ちょうどいいところで止めたいだけなのに、こんなに望みは謙虚なはずなのに、どうしてこんなにちょうどいいものは難しいのか。

弱すぎるか、強すぎるか、少なすぎるか、多すぎるか、短すぎるか、長すぎるか。ちょうどいい時は本当は来ていて、ちょうどいいことに甘んじて、私が気づかぬうちに終わってるのか。ちょうどよくない時は不快に感じるから、その時間だけを強烈に覚えているのか。

「フリーサイズ?ハイハイハイ!撤収!撤収!」

そんな中でナチュラル系の服のブランドに多い気がする「フリーサイズ」ってちょっと傲慢すぎるんじゃないか?誰でも着れるサイズ?そんなのある?傲慢すぎるんじゃなくて楽天的すぎるのか?

私はUNIQLOのレディースはXL一択女なので「フリーサイズ」は肉体がはち切れそうになることがほとんど。もちろん買えない。フリーサイズの文字を目にすると、「ハイハイハイ!私はあなたたちの想定する人間から外れています!規格外ですみませんねえ!!!ハイハイハイ!撤収!撤収!!!」とスンっとした気持ちになる。

私がフリーサイズに「ちょうどいい」人間ではないので過剰に怒りすぎてるのかもしれないけど……。

 

歯列矯正4年目が教える、気を抜くとやられる食べ物

 

祝、歯列矯正4周年

私は大人になって歯列矯正に取りかかったタイプで、歯の裏に金属の細い棒(いわゆるワイヤー?)を絡ませはじめて4年目である。気にせずにカレーを食べまくっているので、白かったブランケット(それぞれの歯についてる小さい四角のやつ)もヤニ部屋の壁の色みたいになっている。なる早で取り外したい。

コロナが流行り始めてからマスクで隠せるということで歯列矯正を考える人も増えているらしい。

 

歯列矯正してる人がやられる食べ物には複数のタイプがあってだね

そこで歯列矯正4年目で気づいた、気を抜くとやられてしまう食べ物をご紹介したいと思う。「やられてしまう」という意味には3種類あると私は思う。

  1. 歯にこれでもかと挟みまくるので人に見られたら恥ずかしい系
  2. ブランケットやワイヤーが外れてしまいそう系
  3. 飲み込む時にワイヤーに絡まって死にそうになる系

1は恥ずかしさ、2は歯医者さんに「取れてしまったので予約をお願いします」という電話をかける手間さえ耐えればなんとかなるが、3はやばい。飲み込む力と歯に挟まった食材の抗う力で、えづいてしまって本当に死にそうになるので気をつけてほしい。

今回は私の経験則だけが根拠の歯列矯正中に気を抜くとやられてしまう食べ物」ベスト5をご紹介したい。

 

 

第5位 大きめのイカ

f:id:gatanitani:20220410154859p:image

イカは部位やカットの大きさ、そのイカの持つ弾力のポテンシャルによって「ブランケットやワイヤーが外れてしまいそう系」のしんどさと「飲み込む時にワイヤーに絡まって死にそうになる系」のしんどさの度合いがかなり変わってくる恐怖の食べ物である。イカ焼きのような噛みちぎるタイプの胴体はワイヤーを外しにかかってくる可能性があるので、必ずキッチンハサミや包丁でカットしてほしい。特にやばいのがゲソ。飲み込む時に歯に絡まって恐怖の忍耐力を見せてくるので、小さいからといって侮らずにこちらもカットするか、よく噛んで小さくしてから飲み込むべきである。

 

第4位 かぶりつくタイプのとうもろこし

f:id:gatanitani:20220410154905p:image

これは「歯にこれでもかと挟みまくるので人に見られたら恥ずかしい系」と「ブランケットやワイヤーが外れてしまいそう系」の混同タイプの食べ物である。恐怖度で言うとイカの方が高いが、「どうせコーンでしょ」と舐めてしまう度合いがこちらの方が高いので4位にした。実際、私はアツアツの茹でとうもろこしのせいでワイヤーとブランケットがずれまくり、歯医者の予約を緊急で取ることになった。あと、とうもろこしの陽気な黄色が歯に挟まっているのを人に見られると情けなくて恥ずかしいので、食べ終わった後はすぐにマスクをつけるか、トイレでチェックをした方がいい。

 

第3位 みじん切りでないニラ

f:id:gatanitani:20220410154917p:image

ニラは「歯にこれでもかと挟みまくるので人に見られたら恥ずかしい系」と「飲み込む時にワイヤーに絡まって死にそうになる系」が混同している。そして、ニラは長ければ長いほど暴力的な面が増長する。とにかくみじん切りであれば大したことない食べ物なので、自分で調理する時は絶対に細かく切るべき食べ物である。

 

第2位 店で一番細いタイプのもやし

f:id:gatanitani:20220410154922p:image

レギュラータイプって感じのほどほどの太さのやつは問題ないが、ブラックマッペみたいな細い系のもやしがやばい。私の好きなラーメン屋さんのラーメンに入っているもやしがまさにヒョロヒョロのブラックマッペタイプで、麺と一緒の感じですすって飲み込む時と死にかける。「飲み込む時にワイヤーに絡まって死にそうになる系」の面が怖すぎる食べ物だが、前歯のワイヤーの上に乗っかったり、奥歯に挟まりまくったりという面もなかなか手強いので「歯にこれでもかと挟みまくるので人に見られたら恥ずかしい系」でもある。食べる時は真剣によく噛み、自分で作る時は太めのもやしをひげ根まで取って使うことをおすすめする。

 

第1位 えのき

f:id:gatanitani:20220410160733p:image

本当にこいつは圧倒的に1位である。きのこ界で最も弱そうな色・細さ・値段・名前をしているが、こいつが我々歯列矯正者の最大の敵である。こいつは「飲み込む時にワイヤーに絡まって死にそうになる系」の一点だけで1位に君臨している。あなたが奥歯に挟まったえのきのことを舐めて、適当に噛み、適当な頃合いで飲み込もうとした時、あなたは死にかける。あなたの飲み込む力と歯やワイヤーに挟まったままで居たいと粘るえのきの力の真っ向勝負になる。おそらくあなたはその勝負に負けて、えづき、涙目になり、しまいには便器に駆け込むことになる。こいつへの対応策はとにかくよく噛んで気をつけて飲み込むこと、そしてワイヤーに挟まらないことを祈ることだけである。私はきのこ界でダントツ大好きなので食べているが、そこまで好きじゃないのなら避けた方がいい。

 

本当に当たり前だが、歯列矯正中に食べ物にやられないためには真剣に食事することに尽きる。スマホを開くな、テレビに集中するな、食事をよく見ろ!以上!

 

 

 

中島らものエッセイが面白くて絶望してる。

私の父は本が好きだ。還暦前になって少し落ち着いたが、私たちが中学生・高校生の時には何かから逃れるようにむさぼるように次から次へと本を読んでいた。多分、その頃のうちの家計は歳の近い三姉妹の食費に教育費に部活の遠征費にと毎月毎月火の車で、気を抜けば振り落とされそうな日々の中の逃避が本だったんだろうと思う。

「きれいな文章を読みたいならエッセイを読め。エッセイが一番。」と父は本の話をするたびに言っていた。何かの本の引用なのかもしれないが(父の言うことの全ては何かしらの本からの引用だと疑ってる。)、父の洗脳のおかげで私はエッセイが文章界のピラミッドの一番てっぺんにあるものだと思って生きてきてしまっている。

父の本棚にあったエッセイで高校生の私が一番天才だと思ったのは中島らもだった。多分、その時に読んだのは『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』だったと思う。例えるなら、私がぐらぐらと両手を広げながら恐る恐る歩いている平均台の上で、この人は宙返り、バク転、バク宙をクルクルと繰り返しているみたいに言葉の使い方が自由で上手くて、こんな人がいるのかとびっくりした。同時に「私もこんなに破天荒な人生を送らないとこんなに面白い文章を書くことはできないのか?」と泣きそうになったが、破天荒な人生を過ごしてたからこんなに面白いのか?、もともと面白い文章を書ける人の人生がめちゃくちゃ破天荒だったのか?、そもそも破天荒な人生という言い方はあっているのか?、そもそもお前は破天荒の意味をちゃんと知ってるのか?と、脳内のアセスメントおばさんがうるさいので今日は考えるのをやめておく。

そして最近、また父に借りて、約10年ぶりくらいに中島らものエッセイを読んだのだが、ちゃんと面白くて震えた。上から目線みたいだが、「ちゃんと」というのは私の感性がちゃんと面白いと思える感性のままでいれたという安堵感の「ちゃんと」である。(『中島らもエッセイ・コレクション』の中では、「あの日の風景」という一編が好きになった。)

一流の和食の料理人が使う包丁のようにシュッと細身で鋭い切れ味の中に、今まで生きてきた人生からギューっと抽出された優しさが加えられたような文章がやっぱりすごくて面白くて好きだった。それに比べると私の書く文章なんか、初めての子ども包丁、いや、バターナイフくらいの切れ味だな。とりあえず練習、練習だ。

今のところ、悲しみは上書き保存タイプ。

 

先週は私の史上、ベスト3のショッキングウィーク。

先週とても落ち込むことがあった。まだ傷口はジュクジュクとしてやっと固まったばかりで絆創膏を無理に外そうとするとまた赤い血が出てきてしまいそうなのでそのことは書けないが、私はこんなにも落ち込むことができるのかと我ながら感心してしまった。

 

ショックのレベルによって対処法変えてたわ、私。

落ち込んだ時に、1人で気が済むまで泣く人、人に話を聞いてもらう人、我がなくなるまで酒を飲む人、いろいろなパターンの人間がいる。先週のショッキングウィークに気がついたのだが、私の場合はショックの度合いで対処法を使い分けているみたいだ。

  • ショック度レベル1
    Twitterの裏垢に気がすむまで書く
  • ショック度レベル2
    平井堅の『ノンフィクション』を聴きながら泣く
  • ショック度レベル3
    とにかく移動しながら(運転しながら、または歩きながら)泣く

 

今のところ、悲しみは上書き保存タイプ

悲しみは時が解決してくれるというが、私の感覚的には時がというよりも、その後にあったさらに悲しいことが上書きしてくる感じがする。これからもずっとずっと上書き保存で生きていくのか、新規フォルダも作れるのか、26歳の私にはまだわからない。

職場の嫌いなおじさんたちへ。「親しさ=無礼な振る舞いが許される」じゃねーからな!

私の嫌いな職場のおじさんたち。

私には職場に嫌いなおじさんが複数いる。

①新入社員の時、近くに同期の男性社員がいたのにわざわざ私にお金を渡して、みんなの分のコーヒーを買いに行かせたおじさん。

②ふくよかな体型の先輩のことを「また大きくなった?(笑)」と馬鹿にして笑ってたおじさん。

③頼んでいた写真をきれいに仕上げてくれたカメラマンさんの仕事ぶりを見て、「あなたもこの人にきれいに撮ってもらったら?(笑)」と言ってきたおじさん。

(まだあるけど、腹立つからもういい。)

退勤時間を過ぎてから、仕事のことを1ミリも考えたくもないのだが、ずっと思ってたことを何かで消化しないと爆発しそうになってきたので書いている。

このおじさんたちのことは、みんなみんな本当に嫌い。本当に話しかけないでほしい。

こんなおじさんたちに絡まれた日は大体腹が立ってブルーになる。ひどい時には、帰りの車内で平井堅のノンフィクションを聴きながら号泣している。(仕事帰りに泣きたい時は本当にこれに限る。)

平井堅『ノンフィクション』

別にこのおじさんたちは、私と、周りの人たちと、仲が悪くなりたくてしていることではないと思う。悪人ではない。私からすると考えられないほどの会社への忠誠心を持っている。

だからって絶対に許さない。許せない。大嫌い。 

 

おじさんたちは会社が産んだモンスター?

私の嫌いな職場のおじさんたちを頭の中で並べてみると、地元出身であるものの、みんな営業畑で若い頃から全国各地に転勤させられてる人ばかりである。だから、歳をとって地元のある本社に帰ってきても遊んでくれる友達はいないか、極端に少ないがために、過剰に職場の人に親しさを求めるのか?と私は睨んでいる。

あと会社と同じような振る舞いを家でもしているのであれば、多分家族にもあんまり好かれてはいないだろう。

若い頃から全国各地に飛ばしまくり、人生設計も家事育児への参加もろくにできない、だから会社の人に親しさを求めてくる、うちの会社の制度が産んだモンスター感もあるのだが………まあ、だからって許さない。許せない。大嫌い。

 

おい、ジジイども!「親しさ=無礼な振る舞いが許される」じゃねーからな!

多分、上記のおじさんたちは「親しさ=無礼な振る舞いを許される仲」だと思っているのではないだろうか。別に親しいことは気を遣わないことではないと私は思う。話しぶりの近さと心の近さは全くの別物だ。敬語であろうと、目線だけだろうと、文面だけのやり取りだろうと、親しみを感じる人には感じるし、毎日会っていようと、どんなに距離が近かろうとも親しみを感じない人には感じない。

 

おじさんに話しかけられて適当に愛想笑いをする時、情けなくて、情けなくて、私の心は少し死ぬ。おじさんに話しかけられて、上手くいなしてそうな後輩を見ると、私はここでは長く働けないと落ち込む。

 

おじさんに媚びなくていい権力が欲しい。

私は権力が欲しい。嫌いなおじさんに媚びなくてもいい権力が欲しい。

別に今やってる仕事も、会社のことも嫌いじゃない。優しくしてくれる人もいるし、大事なことを教えてくれる人もいる。けど、私は嫌いなおじさんの部下になってしまったら多分会社を辞めてしまうと思う。

 

こんなおじさんのせいでささくれだった時、「私みたいな女が生きやすくなるためには倫理観が180度変わるような、世代交代を待つしかないのか。平井堅のノンフィクションに号泣してメンタルリセットするしかないのか。」と絶望する。

 

映画館で見た『もののけ姫』は高野豆腐のように。

もののけ姫』は良い映画。

もののけ姫』が好きだ。「好きなジブリ作品」というくくりではなく、「好きな映画作品」というくくりの中でもベスト5に入るくらい好きだ。

f:id:gatanitani:20220228085914j:image

好きだ好きだと言いながら、私はコロナ禍になるまで、家でしか『もののけ姫』を見たことがなかった。それもそのはず、『もののけ姫』の上映は1997年、私はおむつも取れていない、干し肉を噛む歯もろくに生えていない赤ちゃんだったからだ。

だから、私は『もののけ姫』を映画館で見ることなく死ぬのかというほんのりとした絶望と、1997年当時におむつが取れていて干し肉を噛める歯も生えそろっていて、なおかつ映画館に見に行くことができた人へのやんわりとした嫉妬を感じていた。

 

胸熱🔥🔥🔥ジブリ作品のリバイバル上映

そんな私にこれ以上ないうれしいニュースがあったのは一昨年だ。コロナウイルスが今よりずっと未知で、地方暮らしの私にとって今よりずっと他人事だった頃。

「一生に一度は、映画館でジブリを。」というキャッチコピーのもとに、全国の映画館でジブリの4作品をリバイバル上映されるというネットニュースを見た。『風の谷のナウシカ』『千と千尋の神隠し』『ゲド戦記』、そして私の大好きな『もののけ姫』もラインナップされていた。私は嬉しくて嬉しくて、出来るだけ良い席を取りたい、他人に取られまいと、勤務時間真っ只中の午前10時にいそいそとトイレでネット予約をしたのだった。

コロナウイルスを警戒しながら、ウキウキ気分で映画館に行き、コーラMサイズと一緒に上映スクリーンに向かうと、そこにいたのは私と友人と思しき妙齢の女性2人組だけだった。だだっ広い館内にいるのは3人だけ。いそいそとコソコソと良い席を取られまいと会社のトイレで予約した自分は「馬鹿だったかもしれない。」と少しだけ後悔し始めていた。

しかし、映画が終わった後。私は私を「よくやった!あんたグッジョブすぎる!」と撫で回したいくらい最高な気分になっていた。

 

初めて映画館で見た『もののけ姫』は高野豆腐にでもなったかのように全てが沁みた

映画館で見た『もののけ姫』は、登場人物みんなの気持ちと言葉と生き方が自分に沁みてくるようだった。自分が高野豆腐にでもなったかのように全ての人の気持ちがダシのように沁みてきた。全く泣く場面ではないのに涙が止まらなくて、上映時間のうち7割は泣いていたかもしれない。村を守ったがために村を出ることになってしまう理不尽さに対するアシタカのぶつけようのない怒り。会社員みたいに粛々と仕事をしないといけないジコ坊の擦れた乾いたような忠誠心。サン、モロ、エボシ様、乙事主、、、シシ神様以外(神の領域すぎて全然沁みなかった)の全ての気持ちがわかったような気になるほどに物語に入り込むことができた。

何度も何度も見た『もののけ姫』だったが、家族の声や足音、皿を洗う水音を消し去りきれない居間のテレビでは、映画の世界に埋没することはできていなかったのかもしれない。

 

映画館は不便、でもやっぱり良い所。

映画館はすごく不自由で不便だ。まず顔を洗って身だしなみを整えて時間を合わせて映画館に向かわないといけないし、チケット代も高い。上映中はスマホも使えないし、途中でトイレに行きたくてもストーリーは止めてもらえないし、チケット代は高いし、チケット代は高い。

今は一回分の映画チケットを払えば、余裕で1ヶ月分の動画配信サービスを受けられる。CD産業やDVDのレンタル業などのように、いつ映画館がNetflixAmazonプライムなどの配信サービスに息の根を止められてしまうのかと考えてしまうのは普通の感覚だと思う。

けれど、生活音やスマートフォンと一時的に断絶してくれる映画館の不自由さがなければ、私は『もののけ姫』にこれ以上に入り込むことができなかった。不自由で不便で不親切で、街であったら会釈もしないような人たちと、同じ日の同じ時間に同じ映画を見ることのできる異常な空間、映画館。不便だけど、映画館はやっぱり良い。出来るだけ長く太く、延命措置がなされますように。