ちょうどいいがちょうど来ない、人生。
ちょうどいいがちょうどよく欲しいだけなのに……。
ちょうどいいウォシュレットの強さ、ちょうどいいエアコンの温度、ちょうどいいサイズの靴、ちょうどいいポテトの塩加減、ちょうどいい腹の満たされ具合、ちょうどいい睡眠時間、ちょうどいい長さの話、ちょうどいい運動量、ちょうどいいアルコール量、ちょうどいいところで止まって欲しい、ちょうどいいところで止めたいだけなのに、こんなに望みは謙虚なはずなのに、どうしてこんなにちょうどいいものは難しいのか。
弱すぎるか、強すぎるか、少なすぎるか、多すぎるか、短すぎるか、長すぎるか。ちょうどいい時は本当は来ていて、ちょうどいいことに甘んじて、私が気づかぬうちに終わってるのか。ちょうどよくない時は不快に感じるから、その時間だけを強烈に覚えているのか。
「フリーサイズ?ハイハイハイ!撤収!撤収!」
そんな中でナチュラル系の服のブランドに多い気がする「フリーサイズ」ってちょっと傲慢すぎるんじゃないか?誰でも着れるサイズ?そんなのある?傲慢すぎるんじゃなくて楽天的すぎるのか?
私はUNIQLOのレディースはXL一択女なので「フリーサイズ」は肉体がはち切れそうになることがほとんど。もちろん買えない。フリーサイズの文字を目にすると、「ハイハイハイ!私はあなたたちの想定する人間から外れています!規格外ですみませんねえ!!!ハイハイハイ!撤収!撤収!!!」とスンっとした気持ちになる。
私がフリーサイズに「ちょうどいい」人間ではないので過剰に怒りすぎてるのかもしれないけど……。