26歳、ワンマンレシーブみたいに投げられる「人生の選択」というボール
26年って四半世紀以上だよ。
この世に生まれてから26年が経ってしまった。全部漢字にすると「四半世紀以上」だ。別にいいけど、なんだかなあって感じ。
大学を卒業してから、ずっと仕方なく通勤して仕方なく納税してたら20代の前半戦はあっという間に過ぎてしまった。
大学のある友達はもう3回目の転職活動を終えて、高校のある友達が二十歳で産んだ子は今度の4月から小学生らしい。
私はというと、入社する企業を決めた以外では特に大きな選択を下すことなく、毎日毎日自席の卓上カレンダーの日付にレ点をつけて金曜の17時30分だけを待ち望んでいる日々を送っている。
綺麗事はまあ、(心の中に)ないよりある方がいいよね。
「何歳になっても(おおよそのことは)チャレンジ出来る!」といわれるけれど……物事を選択しやすい年齢、選択肢のまだ狭まっていない年齢というものは残酷ながらあると思う。産まれて四半世紀の我々平成一桁世代は、まさにいろんな選択肢を選択しやすい年齢になってきてると思う。嫌だけど。
- 結婚するのしないの
- 出産を望むの望まないの
- 転職するのしないの
- 地元に帰って来るの来ないの‥‥etc.
ちょっと思いつくだけでもこれだけの選択肢がある。誠に途方に暮れる。
ワンマンレシーブみたいに投げられる「人生の選択」というボール
26歳の今の私にとって今の状況は、柳本ジャパンで大山加奈選手がコートの右に左にとボコボコボコボコ何本も何本も投げられていたワンマンレシーブのように、何回も何回も多分人生において大切だろうなと思われるようないろんな選択肢のボールを投げられているように思えてならない。(泣きながらレシーブする映像が印象的すぎただけでバレーに関してはめちゃくちゃ疎いです。)
拾うの拾わないのの自由はあっても、誰も手伝ってはくれないし、プレーを続ける姿勢は見せ続けなければいけない。
友達に助けて欲しいけど、友達は友達で違う柳本監督にしごかれてるからそれどころではない。
「いや、もうさ、どうしたらいい?」
最近の友達との悩み相談で必ず誰かが言う言葉だ。外野のうるさいアドバイス、SNSで感じる泥のようなマウントの取り合い、焦る自分、止まらない選択肢のボール、前よりずっと疲れやすい身体、全部ひっくるめて「いや、もうさ、どうしたらいい?」だ、多分。
あーあ。カラオケ屋さんみたいに電話でモラトリアム期間「あの、延長で!」って出来ればいいのになあ……。